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何を頑張ればいいのか

それは、たまたまの出来事であった。

普段、僕は必ず週末にシャツにアイロンを掛ける。

一週間分まとめて。

ただ、今週はそれができなかった。

うっかり、その時間を取るのを忘れてしまったのだ。

しかし、月曜日は良かった。

過去にきちんとアイロンがけしたシャツが残っていたので、

そのシャツを着ていた。

問題は昨日、火曜日だ。

僕は急いでいたこともあり、アイロンをかけていないシャツを着て

出社した。

するとどうだろう。

僕の上司は、それを指摘しにやってきた。

きちんとしたシャツを着て、会社に来なさいと。

普段はきちんとやっている。

今まで、そんな格好で会社に行ったことはほとんどない。

たまたま昨日、それをするのを忘れたのだ。

それで、全てを評価されてしまう。

今までどうだったか?などというのは、評価に加味されない。

 

ビジネスは、結果が全てである。

ということは、今回のようにたまたまダメだった時を評価されてしまうことは

これからも起きるであろう。

では、どうすればいいのか。

きちんと毎日結果が出るように頑張るのは、得策ではない。

人間は必ず忘れてしまうからだ。

そうではなく、自動的に結果が出るシステムを構築するところに

時間と労力をかけるべきなのだ。

適切なタイミングで、適切な動作をすることを「習慣化」してしまえば、

自動的に結果が出る耐性が構築できてしまう。

 

沢山考察し、本質を見抜き、それを実現するための

「自動化」の方法を考えることが本当の仕事なのである。

 

これを意識し、構築していこうと思う。

会話で気をつけること

今回は時間がないので、結論だけメモ。

ナンパでの会話では、信頼関係を気付きあげるのはほぼ不可能。

時間が短すぎるし、そもそもファーストコンタクトがあやしすぎる。

では、どうすれば次につなげることができるのか。

その怪しさを乗り越えるメリットを提供できた時。

つまりは、楽しい未来を想像してもらった時に、心が動く。

自分といると、将来もっと楽しい時間が与えられるということを提示する。

 

この方法論を考えていくことが大切。

自分なりの方法が確立できれば、最強。

その先に見えるもの

昨日、会社の先輩と、とある焼き豚居酒屋(焼き鳥の鶏肉の代わりに、

ブタの様々な部位が串に刺されて焼かれて持ってくる。)でお酒を飲んでいたら

先輩がこんなことを言い出した。

「おしゃれで、女の子と行くと受けるようなバーが近くに有るんだけど

行ってみる?」

この先輩は、おしゃれなお店を沢山知っている活かしたナイスガイだ。

何人か仲良くしている女の子もいるし、合コンを開いて僕を呼んでくれることもある。

そんな先輩が誘う店なのだ。きっと、期待していいだろう。

「いいですね。ぜひ行きましょう」

僕たちは、駅前にひっそりと口を開いている地下への階段の前に移動した。

教えてもらわなければ見逃してしまいそうなその階段を足早に下り、

四角くて黒く、少し威圧感のある扉の取っ手に手をかけ、押してみる。

扉の重さが作り出すちょっとした拒絶感を感じながら、そのまま先輩と店の中へ入った。

 

中を見渡すと、薄暗く、いかにもバーという印象を与えるカウンターが6席ほどと、

奥に5人がけぐらいのL字のソファーが2つ置かれているのが目に入った。

カウンターテーブルの向こう側には、きれいな夜景のようにキラキラ輝いた

様々なお酒が置かれている。

カウンターに目を戻すと、数人のお客さんがお酒を飲んでおり、バーテンダーとしゃべっている人もいれば、知り合いの人と話をしながら飲んでいる人もいる。

「確かにいい所だな」

そう思っていたら、女性のバーテンダーの人が近づいてきた。

「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。こちらの席にどうぞ」

言われるがまま席につき、かばんを降ろして一息ついた。

「おしぼりをどうぞ」

差し出されたおしぼりを受け取りながら、女性にありがとうと伝える。

その時に抱いた印象は、とてもシンプルな人だということだ。

ピアスもネックレスも髪飾りもなく、指輪もつけておらず、お化粧だってどちらかと言うと薄い。

飛び抜けて美人というわけではない。だけど、とても清潔感や華があって、存在感がある。

僕にとっては、美人の店員さんというわけだ。

 

さて、ここでどうするか。

僕はナンパ師だ。

何か適当なオープナーで会話を開き、笑わせ、自分を印象に残し、連絡先を渡す。

それがナンパ師としての使命であろう。

そして、結論を先に述べてしまうと、僕はこれをしなかった。

しなかったというよりはできなかった。

毎週、毎週、声掛けをしに街に出ているのに、未だに怖いのである。

知らない女性と、自然に会話を始めるということが。

 

なぜ、怖いと思うのであろうか。

それはきっと、失敗を気にしているからである。

では、なぜ失敗することが怖いのか。

これは、自分の価値をさげてしまうからである。

ただこれは、前回の記事で考えたように、自分で自分の価値を下げているだけだ。

 

garage.hatenablog.com

 つまり、自分で自分価値をさげない限り、大丈夫なはずなのだ。

これが頭でわかっていても、実際に行動に移すのは難しい。

自分を後押ししてくれる力が必要なのである。

どうすればそんなことが出来るのだろうか。

そのカギを握るのは、以下の2つだと思う。

 ①ゴールを見据える。

 ②自分の気持にきちんと目を向ける。

 

①ゴールを見据える。

  きっと何かに恐怖を感じても乗り越えたいともうということは、その先に得たいものがあるからだ。

強く恐怖を感じている時、この感覚が弱まっていると思う。

目先のことにだけ視点が行き、その先にあるゴールが見えなくなってしまっている。

僕の場合は、グローバルで活躍できるリーダーになることが目標だけど、これを忘れてしまっている。

ちゃんとこれを思い出し、そのための通過点であることを認識すべきだ。

 

②自分の気持にきちんと目を向ける。

  恐怖を感じている時、どちらかと言うと自分の気持から目を背けていると思う。

「どうしよう。怖いなぁ。あー、なんだか無理な気がするなぁ。あぁ・・・。」

こんな感じ。めちゃくちゃダサい。

この状態の時、主導権を握っているのは感情である。だから、論理的に行動することはできない。

この主導権を入れ替えるために、自分の気持を堂々と見つめる。

「あぁ。今緊張してるし、恐怖を感じているな。大丈夫。この気持を受け入れていこう」

こう考えた時、覚悟が決まると思う。

そして、次のステージへ進む準備ができると思う。

 

きっとこういうことなんだろう。

見つめるものは、ゴールと気持ち。

これをしっかりやっていこう。

気まずさってなに?

先日、恥ずかしいってなに?という話を書いた。

 

garage.hatenablog.com

 この考察はまだまだ納得行くところまで行ってなくて、

人と人との関係性の間に、恥ずかしいは生まれるなという

ところまでしか考察できていない。

この問題をもっと考えていこうとすると、

恥ずかしさと関連のある他の感情についても

考察しておいたほうがよい。

その感情は、「気まずさ」である。

 

何か失敗をし、みんなに笑われたとしたら、

きっと恥ずかしさと同時に気まずさを感じる。

ただ、気まずさは恥ずかしさよりも

もう少し上の概念の気持ちだと思う。

気まずいけど、恥ずかしくないという状況も存在するからだ。

例えば、初めてあった人と話が弾まず、沈黙が続くとか。

自分が悪口を言っていたら、そばに本人がいた時とか。

この時に根底に流れている感情は、それぞれ別物である。

ただ、共通しているのは、「居心地が悪いと感じる」ということだ。

 

居心地が悪いとは、どういうことだろうか。

簡単にいえば、その場にいると安心できず、何かマイナスの感情が

湧き出てくる状態だ。

では、マイナスの感情であれば全て気まずさにつながるのだろうか。

それはおそらく違うだろう。

お葬式に参列するとマイナスの感情である悲しみが湧き出てくるが、

気まずさを感じることは無いはずだ。

ということは、特定の感情が気まずさと結びついていることになる。

 

悲しみは気まずさを生まず、恥ずかしさは気まずさを生む。

では、悲しみと恥ずかしさの間には、どんな違いがあるのか。

それは、自己完結できるかどうかにあるのではないだろうか。

悲しむという行為は、自分一人でもできる。

頑張った努力が報われなかったり、

自分の能力の限界を感じた場合、

そこに登場するのは自分一人だが、悲しむことが出来る。

恥ずかしさは、誰かがいないと成り立たないのだ。

街を裸で歩くと恥ずかしいが、自分の部屋を裸で歩いても恥ずかしくない。

ということは、気まずさも人との関わりの中でできあがる感情である。

 

次に、同じシチュエーションでも気まずさを感じる時と感じない時のことを

考えてみる。

例えば、怒るという場合。

自分の感情に任せて相手を怒鳴りつけてしまうと、

その後に大きな気まずさを感じる。

しかし、相手のことを思って「叱った」場合、

そこまで大きな気まずさは感じないのではないか。

この2つにどういう差があるのか?

私は、感情に任せて怒った場合、

「自分の価値を自分で下げる」

というプロセスがあると考えている。

このプロセスによって、気まずさが生じるのではないか?

という仮説である。

感情に任せて怒った場合、多くの人は後悔をする。

どうしてあんなことしてしまったんだろう。

相手の人を傷つけてしまったな。

周りの人に、嫌なやつだと思われただろうな。

このような感情は、自分を否定することになり、

自分の価値を自分で下げている。

もし怒った人がこんなことを考えていたらどうだろう。

怒ってやって清々した。

周りのみんなも、「よくゆってくれた!」と評価してくれたし、

相手も少し反省した様子だったな。

満足、満足。

この場合、後悔することもなければ、気まずさを感じることも

無いだろう。

「叱る」場合も同様である。

相手のことを思っているのだから、後悔したり、

自分で自分の価値を下げたりする必要がないのだ。

 

ということは、自分で自分の価値を下げなければ、

気まずさを感じずに要られるのではないだろうか。

これは少し、試してみる必要があるだろう。

 

 

 

どうすれば日本はもっと良くなるのだろうか。


近年の日本は、本当に機器的な状況に追い込まれていると思います。
日本の借金は1兆円を超えているし、
日本の貯蓄率は、年々低下しています。
日本の家計資産残高は、1694兆円と言われていますが、
その全てが国債に投資されているわけではありません。
一部は、株価や国債が関係ない保険に投資されています。
さらに、日本のGDP成長率は一桁成長であり、
人口だってどんどん減少しています。<参考文献>
時事ドットコム:【図解・行政】「国の借金」の推移
マイナスの家計貯蓄率は何を意味するのか | 読んでナットク経済学「キホンのき」 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
日本の家計資産残高は増加、1694兆円に…日米家計資産推移(2014年Q4分)(最新) - ガベージニュース
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日本が付加価値を創造するのは、圧倒的不利な立場にある上、
借金が返済できる見込みはほぼ0%であるため、
いつデフォルトが起きても、不思議ではない状況になっています。

なぜ、こんなことになってしまったんでしょうか。
その原因の1つに、「努力偏重型」の考えがあると
私は思っています。

「努力偏重型」とは、努力することが
過剰に評価されてしまうことです。
わかりやすいのが、日本の残業です。
上司がいるから帰りづらいといい、不必要に
遅くまで会社に残ったり、
遅くまで働いているだけで、特に結果を残さなくても
許される風潮があります。
最近はだいぶ改善されてきましたが、
この風土は、日本人の文化に刻み込まれていると思います。

私も典型的な「努力偏重型」人間です。
努力をしていると、それが免罪符になり、様々な事が
許されるような気になってくるのです。

この考え方は、非常に危険です。
私は前、「結果にコミットしなければならない」と
ブログに書きました。
努力を余りにも重視し過ぎると、無駄なことを
たくさんしていれば、結果が出なくてもOKという、
全く意味の分からない結論が出てしまいます。
ただ、苦労した気になっておけば、自分に言い訳できるのです。
「あんなに頑張って失敗したんだから、仕方ないよね」と。
これが、日本をダメにしているんだと私は思います。
もっともっと、結果にコミットしていかないとダメなんだと思います。

これは、私のナンパにも当てはまっています。
ほんとは、ナンパなんてしたくないんです。
しんどくて、辛いだけです。
では、なぜそんなことをするのか?
自分への言い訳がほしいのです。
きちんと頑張っているという、言い訳が必要なのです。
そんな気持ちだから、結果が全く出ないし、
学ぶことも少ないのです。
学ぶことが少ないということは、その体験から
付加価値を創造できていません。
付加価値の累計=GDPですので、これは日本全体にも
当てはまることなのです。
もっともっと、結果を、目的を意識しなければ、
時間の無駄になってしまうのです。

スティーブ・ジョブズは、
かの有名なスタンフォード大学のスピーチで言いました。
「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 :日本経済新聞
以下引用-------
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。

              • 引用ここまで

自分への言い訳を目的にしている人は、
おそらく今日が最後の日でも、努力を続けるでしょう。
それではダメなんです。
目的をしっかり意識する。
それが、本当に大切なのです。
それを意識し続けることが、きっと幸せな未来に繋がっていくのです。

恥ずかしいってなに?

最近、分からなくなったことがある。
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
「恥ずかしい」ってなんだ?
悲しみとか怒りとか恐怖ってゆうのはわかる。
でも、「恥ずかしい」ってなんなんだろう。

悲しみ、怒り、恐怖は自分が一人だけの時でも発生する。
でも、恥ずかしいは、自分一人だけでは発生しない。
他社との関係の中で出てくる感情である。
そして、同じ行為でも、恥ずかしい場合とそうでない場合がある。
良く「スベる」とう言葉を芸人の人は使う。
これはおそらく、「上滑る」の略だと思う。
相手を笑わそうとしたのに笑わず、空気が重くなるような
状態のことだ。
スベったとしても、仲の良い友達の前だと特に恥ずかしくない。
だけど、全く知らない人達の前だと、恥ずかしさを感じる。
また、教育や文化の違いが影響することもある。
日本人とアメリカ人では、恥ずかしいと思うことが違うはずだ。

様々な感情が人間には存在するが、
「恥ずかしい」だけは、後天的に獲得される感情である。
子どもや赤ちゃんは、ほとんど恥ずかしがることはない。
だから思うのだ。
恥ずかしいという感情は、ほんとうに必要な感情なのか?と。
この感情は、なくてもいいんじゃないのか?

今考えているのは、恥ずかしいとは嫌われたくないという気持ちが
引き起こしているのではないか?ということだ。
恥ずかしいと感じる出来事があった場合、
嫌われたくない人がいたほうが、より恥ずかしさを強く感じる。
「恥ずかしさ」は、人間を集団行動にするために必要なものと
いうことなのだろうか。

もう少し、ちゃんと考えて見る必要がある。

プラス思考

今の自分に足りないことは、プラス思考だ。
この考え方が圧倒的に足りない。
どちらかと言うと、マイナス思考になりがちだ。

人生は、よく旅に例えられる。
何かを見つけるための旅であると。
マイナス思考になるということは、
人生の中に失敗や不幸を見つけようと頑張っている状態だ。
こうなってしまうと、自分は人生が不幸なものであることを
証明しようとしていることになる。

昔、高校生だった僕は、数学の証明問題をよく解いた。
証明問題は、普通の数学の問題とは違い、結論が与えられている。
この考え方なんだろうなぁと思う。
人生というものは、数学の証明問題なんだ。
大切なモノを探す旅と言っている人は、
人生を証明問題ではない、普通の問題として説いている。
別に、これでもいいんだと思う。
最後に行き着いたところが答えです。というのでも、
全く問題ない。
でも、人生の答えはすでに決まっていると思う。
だって、結局全ての人は「幸せ」を探しているのだから。
すべての人は、人生の結論を「幸せ」で結びたいと思っている。
だったら、この問題は通常の問題ではなく、証明問題なのだ。

だから、全てを「幸せ」の方向に結びつけ無いといけない。
そのときに重要な手法が、プラス思考なんだ。
プラス思考はただの手法。ただの道具。
自分の人生を彩るための道具なんだ。
道具なんだったら、練習すれば、誰でも上手に使えるようになる。

だから、練習しよう。
上手に使えるように、練習していきましょう。
そうすれば、きっと幸せな人生になっていくよ。