うつわ

あなたの家には、何種類ぐらいの器があるだろうか。

お茶碗、お椀、お皿、小鉢。湯のみや徳利なんかも含めていいかもしれない。

おそらく、沢山の器が家の中にあるだろう。

大きさ、形、色を含めると、ものすごい数になるのではないだろうか。

 

話は変わるが、2年前、陶芸の体験教室に行き、湯のみを作った。

湯のみを作るのは、意外と難しい。

なかなか思い通りの形にならないし、厚みがまばらになってしまう。

厚みがある場所を手で伸ばして薄くすると、今度は違う場所が厚くなる。

それを丁寧に直していると、今度は湯のみの大きさが大きくなりすぎるのだ。

器が大きくなってもいいと思うかもしれないが、自分にあったサイズじゃないと使いにくいし、

全体的に厚みが薄すぎると、焼いている時にヒビが入ったり割れてしまう。

ある程度の厚みを持って作ることが大切なのである。

 

人間の器は、まさしく陶芸と同じだと思う。

陶芸は粘土で創りあげるけど、人間の器は経験で創りあげられるんだと思う。

器の形は、経験に対する解釈の仕方に相当する。

自分にとって面白くない経験は、なるべく避けようとしたり、その話題に触れないようにしようとしたりする。

これは、粘土をうすく、うすく伸ばすのと同じである。

なるべく自分への心理的な負担を減らすために、経験を薄めているのだ。

だから、本当に人間の器が試されるときになると、簡単に割れてしまう。

それに対し、嫌な経験を正面から受け止める人は、粘土を厚く、厚く塗り重ねているのと同じだ。

どんどん器は大きく、深くなっていく。

そして、器が試される時が来ても、ちょっとやそっとじゃ割れることはない。

こうやって、人間は器を作り上げていくんだと思う。

 

僕の器は、子供用のお茶碗位だ。

嫌なことがあったり、自分のミスを指摘されると、受け止めきれずに直ぐにあふれだす。

そして、器が試されるような場面になれば、直ぐに器が割れてしまう。

何度も、悔しくて、涙した。

何度も、なんのために生きているのか自分に問いかけた。

 

もうこんなのは嫌だ。

だから、結果を素直に、真正面から受け止める。

薄めることなく、経験をそのまま受け止める。

粘土を何度も器に塗り重ねる。

そんな人生に、これからはしていきたい。