喜ぶことも立派な能力の1つじゃないのか。

最近、なにか嬉しかったことがあったか?と聞かれると、
答えに詰まってしまう。
確かに、楽しかったこともいっぱいあったし、
良かったこともいっぱいあった。
はずだ。
僕は、素直に喜ぶことが苦手だ。
喜んでしまうと、そこが終着点のような気がしてしまう。
電車でいうところの、終点になってしまう気がするのだ。
僕は今、特別チケットを買って特急電車に乗っている。
行き先が書かれた切符をしっかり握りしめて、
僕は最終目的地について思いを馳せる。
・・・あぁ、なんて素晴らしく胸に響く景色なんだ。
空気が美味しい。今まで見たことがない景色だ。
高い切符だったけど、本当にここまで来てよかった。
こんなことを空想しながら、ニヤニヤして、
電車の座席に腰を落ち着けている。

ひと通り空想が終わった後、ふと電車の窓から外を眺めてみる。
いつの間にか知っている景色とは変わっていて、
見たことのない景色になっている。
あれ?あれはなんだろう。すごく綺麗だな。
おや?あそこに行くと、なんだかすごく気分が良さそうな場所だな。
そう思い、次の停車駅で少し電車を降りてみる。
幸いなことに、電車の発車時刻までには、時間がある。

降りた駅を散策してみる。
今までに経験したことがない気持ちが自分の中にどんどん沸き起こる。
うわぁ!すごいな。こんなの初めてだ!!

ここだ。
この時点だ。
ここで喜んでしまうと、この景色、体験に陶酔してしまう。
そうすると、電車の発車時刻に気づかず、気付いた頃には
電車がいなくなっているのではないか。
それではいけない。
僕には最終目的地があるんだ。
切符には、その名前が力強く記してあるんだ。
だから、こんなところで喜んでいる場合じゃない。
陶酔している場合じゃないんだ。
だから、僕は自分にこう言い聞かせる。
「こんなのたいしたこと無いね。最終目的地に比べたら」

僕の人生は、こんな感じだった。
だけど、気付いた。
これは、間違いなんだと。
そうじゃないんだ。
途中の景色を楽しむんだ。一つ一つを受け入れるんだ。
そうしないと、結果にコミットするということがどんどんできなくなる。
喜びがないと、やっぱり続かない。
楽しいこともないのに、長い間電車に乗り続けるのは不可能だ。
変わりゆく景色に気付いているのに、窓にカーテンを閉めて
喜ばないようにするのは間違ってる。
むしろしっかり喜ぶんだ。自分は、電車に乗って走っていることを楽しむんだ。
そうすることで、次の駅の手前の駅で思わず電車が急停車したって喜べるんだ。
そして、次はもっと先の駅まで行けるように自分の中でしっかり決めればいい。
喜ぶんだ。
素直になるんだ。
自分の気持をしっかり自分で感じ取るんだ。
その練習をしなくちゃいけない。
もっともっと、結果にコミットしていくために。