遊ぶということ2

昨日の続き。

 

昨日の要約。

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遊んでいるときは、自分の気持ちに従って行動している。

よって、仕事と遊びは両立できる。

ただし、仕事になった途端に面白くなくなることがある。

それは、自分の気持以外の外部因子が影響し、自分の気持に従えなくなるから。

そうなった時、遊びは単なる作業となり、多くの人がイメージしている仕事へ変わる。

−−−−−−−要約ここまで−−−−−−−

 

ただ、外部因子以外にも遊びを遊びでなくしてしまうものがある。

それは、恐怖心だ。

例えば、ジェットコースターに乗ること。

ジェットコースターに乗ることが怖いと感じる人は、ジェットコースターに乗ることは

遊びではなく、仕事になってしまう。

これも、自分の気持に逆らって行動しているからだ。

 

この「恐怖」というものが、めちゃくちゃ厄介なものだ。

もちろん、恐怖があるから人間は安全に暮らせるし、ある程度安定した道を進める。

ただ、この「恐怖システム」が過剰反応してしまうことが現代社会では多い。

そう。まさしく、花粉症のようなものだ。

花粉症も、本当は問題のない花粉を病原体だと認識し、過剰反応を引き起こす。

多くの人は、この過剰反応に困り果てている。

「恐怖システム」もまさしくそうである。

必要以上の反応を引き起こすので、多くの人が生きづらく、しんどいと感じている。

この「恐怖システム」を乗り越えてしまうと、全てのことは遊びになるんじゃないだろうか。

この考え方は、ちょっと飛躍してるなぁ。

遊び+強制力=作業

の内容とつながってない。

 

まぁ、いいや。

明日続きを考えよう。