今日は余り時間がない。

ジムに行ったからだ。

でも、なんでもいいからブログは書かないと行けない。

なぜなら、ブログを書いて毎日アウトプットのを習慣づけようと

しているからだ。

今参考にしているのは、この本。

30日で人生を変える 「続ける」習慣

30日で人生を変える 「続ける」習慣

 

この本によると、30日間、毎日続けてしまえば、

習慣化して後は楽になるという。

そのために、最初は簡単な行動に変えていいので、

毎日やりましょう。

という内容である。

ということで、今日もブログを書いている。

 

ひとまず、今日一日を要約すると、

自分が認識しているゴールの具体度に応じて、行動の価値が変わった。

ということだ。

仕事の調査は、ゴールが見えないので、いまいち情報収集がはかどらない。

何かを調べても、それがどの程度の価値が有るのかわからないので、

自身が持てず、積極的に言葉を発することができない。

これでは、自分の行動に価値を与えられていない。 

でも、ジョブローテーション制度のお知らせを見た時、

一瞬にして、これに挑戦しなければと思った。

僕の将来の価値がある程度固まっているからだ。

 

ゴールを見据えて、それを具体的に磨き上げていく。

それをしっかり行うことは、自分の人生を磨き上げることに

繋がっていくのだ。

大切な能力

もし、欲しい物を3つ、何でもあげるよと神様に言われたら、

 あなたは一体何を願うだろうか。

お金、恋人、健康、聡明

昔の僕なら、こんなものを願っただろう。

今の僕なら、これらは願わない。

健康は確かに重要なので願うかもしれないが、

今の自分は健康なので、あえてここでは願わないだろう。

今の僕がほしいもの。それは、

観察力、想像力、文章力

の3つ。

これがあれば、僕はほとんどのものを手に入れられると思う。

まず、観察力。

これはすべてのことの基本だ。

観察を積み重ねることで、沢山のことに気づける可能性が

出てくる。

でも、観察力だけでは、可能性の域を出ない。

これを具体的な気付きに変えるのは、想像力だ。

観察で得られた事実を見つめ、想像力で事実と事実の

行間を埋める。

そうすると、そこに1つの物語ができあがる。

この物語を文章にすれば、多くの人達に気づきを与えることが

できる。

また、観察力と想像力があれば、相手の人のニーズを把握できる。

多くの人は、自分のニーズが自分でわかっていない。

「今日のご飯は何が食べたいか?」

と聞かれても、多くの人は、

「なんでもいいよ。」

と答える。

ほんとは、何でもなんて良くないのだ。

そういうふうにいう人に限って、こちらから提案すると

その提案を否定してくるのだから。

これは、僕の観察力と想像力が足りないだけだ。

本当は、相手の望んでいるものを想像して、それを提案できないと

いけない。

 

いっぱい観察して、いっぱい想像して、いっぱい書く。

これを鍛えるためには、毎日その日の要約をすると良いと思う。

要約は、観察力と想像力が必要だ。

そして、書くためには文章力が必要だ。

明日からは、そうしよう。

一日を振り返り、その要約を書くことにしよう。

そうやって、少しずつ進んでいこう。

感情の有効な使い方

仕事ができるとは、どんな人だろうか。

僕は、ひたすらPDCAサイクルを回せる人だと思う。

多くの人は、感情が邪魔することでPDCAサイクル

途中でやめてしまう。

めんどくさいから、Planを立てずにDoしてしまうとか、

PlanがないからCheckができないとか、

Checkをするのがめんどくさくて、Doの段階で

止まってしまうとか。

こうやって感情に従うことで、多くの人はPDCAサイクル

止めてしまう。

僕も完全にその一人だ。

めんどくさいからPlanを飛ばしてしまうことが多いし、

失敗した時は、思い出すのが辛いからCheckをせずに

そのまま忘れようとしてしまう。

 

もう、こんな生活はやめよう。

思い出すのが辛くてCheckをしなかったら、

不完全な体験のまま自分の記憶に残り、

様々な悪影響をおよぼす。

そこから学べるはずのことを吸収せずに終わってしまうし、

嫌な思い出として、いつまでも自分の中に住み着いてしまう。

すべての体験は、その内容を味わい尽くし、学び尽くしたとき、

よい思い出にしかならない。

自分の中に、思い出したくない悪い思い出があるとすれば、

その体験とホントの意味で向き合いきれておらず、

学ぶべきことを学びきれていないということである。

だから、ほんとは怖くて、恥ずかしくて、

真剣に向き合いたくない体験ほど、じっくりと考える必要がある。

そこに必ず、自分の成長を促す何かが存在する。

だから、そういう、心が少し痛くなる感じや恥ずかしくなる感じは、

上手く使えば、ものすごい自分にとってプラスになるのだ。

そういう気持ちを感じたら、ラッキーだと思って、何度も向き合いながら

考えて、自分の中に受け入れられるようにしていきたい。

感情

昨日はサボってしまってブログを書けなかったから、

今日は2つ書くことにしよう。

 

感情とはなんだろうか。

嬉しい、悲しい、怖い、恥ずかしい・・・。

人間は日々、沢山の感情を感じながら生活している。

良く、悲しみがあるから嬉しさが倍増するとか、

恐怖を乗り越えた後に、達成感があるんだとか、

恐怖がないと、死のリスクが高まるとか、

色んな事が言われる。

僕も、この意見には賛成だ。

感情は、人間の根本的な行動を制御していて、

それは自動的に働くから成し得ることなのだ。

人間を、人間にしているものと言えるのだろう。

なぜなら、無意識に働くものは、進化の歴史の中で

選択・精錬されてきたものだからである。

意識的に制御できないもので、環境に適応しないものは

死をもたらし、その種族を絶滅させるはずだ。

 

ただ、人間以外の動物も感情を持っている。

では、人間と動物を分けるものはなんだろう。

よく言われるのは、理性だ。

そして、人間は理性で感情をある程度コントロールできる。

ということは、感情をコントロールしている人ほど、

最も人間らしい人間といえるのだろうか。

自分の言いたいことを言えず、何かあっても笑って過ごし、

悲しい時も、恥ずかしい時も無表情の人が、

最も人間らしいってことなのか?

 

そんなはずはない。

そんなの、人間といえるのか?

 

ココらへんのことは、よくわからないなぁ。

続きは、また今度考えよう。 

 

 

 

声掛けの量産

[ナンパ]

今日も、毎週の日課にしているナンパに出かけた。
今日は、久しぶりに僕のホームタウンで声掛けをすることに
した。
ホームタウンと行っても、生まれた街ではなく、
初めてナンパが出来るようになった街のことである。

今日の目標:
1時間以内に15人に声掛けをすること。

なぜ15人か?
それは、知り合いのナンパ師の方が15人に1人ぐらいは、
バンゲが出来る。という統計を出しているからだ。
少なくとも15人以上は声をかける必要がある。
また、なぜ1時間か。
これも、ある方が、地蔵にならないように5分に1回は
声掛けするようにしていると書いていたからだ。
僕の今の課題は、地蔵になってしまうことた。
(地蔵=ナンパしようとしているにも関わらず、
女性への声掛けができずに、道で時間を消費している状態。)
よって、5分に1回の声掛け+10分間ストレッチを行うと
大体、1時間で15人位の人に声掛けができる計算になる。
(10分間ストレッチ=10分以内に女性6人以上に
声掛けすること。この時は粘らず、直ぐに放流してもよい)
この目標を胸に、ホームタウンの駅へと僕は向かった。

18:30
駅に到着。
何故か非常に眠い。あと、めちゃくちゃ緊張する。
今日もできるきがしない。もう帰りたい。
何事もせず、荒波を建てず、このまま帰ってしまえたら、
どんなに楽ちんだろう。
そんなことを考えつつ、商用ビルの休憩スペースに座り、
目を閉じて精神を統一する。
結局、30分も精神統一してしまう。
亀仙人でも目指す気か?

19:00
ロッカーに荷物を預け、準備運動開始。
僕は駅の歩行者用通路で声掛けするので、
その通路を一巡する。
歩いている間は、心が落ち着いている。
準備運動中と言い訳して、ナンパをしなくていいからである。
こういうところが、ほんと女々しい。

19:10
一巡が終了し、女性を追い抜かしながら声をかける
イメージトレーニングを行う。
こけかけはしないが、後ろから女性を追い抜き、
女性の横辺りに来た時に、その人のほうを向く。
そして、何も言わずにそのまま抜かしていく。
これによって、声かけ時の相手との距離、角度を確認する。
すると、僕は相手と並行になった時に声掛けする癖があることに
気付いた。
これは、少しタイミングが早い。
理想は、斜め45度の角度だ。
これよりも早過ぎると、相手を驚かせたり、
自分のほうを見てもらえないことだってある。
わざわざ横を見ないといけないからだ。
これに気づき、少しテイミングを遅らせ、角度を調整した。

19:20
知り合いのナンパ師の人と偶然会い、合流。
地蔵トークに花が咲く。
こんなトコで花さかしてる場合じゃねーよ。
花咲かじいさんか。
花さかしてる暇あったら、女の子を花見に誘え。

19:30
ナンパを始める。
ただ、記録をとってないので、全然会話内容を覚えてない。
一人、清楚系の女の子に声をかけた時、
「今急いでて、バイオリンのレッスンに行きます」

「バイオリン弾くんですか!?めっちゃお嬢様ですね」
「はい」
「それじゃ、急いでるので」

みたいな感じで、番ゲできなかったことがあった。
これは、もっと面白い切り替えしか、会話展開をすべきだった。
「バイオリンのレッスンに行きます」
「あー、なるほど。どうりで葉加瀬太郎っぽいと思いました。
服に情熱って書いてありますもんね」
(注:書いてないです)
ぐらいゆうべきだったかな?
にしても、会話のセンス無いなぁ。
こんなの全然おもしろくないよなぁ。
まぁ、今度試してみよう。
バイオリン持ってる人になかなか合わないだろうけど。

まぁ、こんな感じでなんだかんだ続けて、結果としては、
2時間で15人に声掛け
でした。

結局目標は達成できなかったけど、地蔵トークしてたり
ナンパ仲間とカフェでケーキ食べたりしたから、
(連れ出しで女の子と食べれるのが一番だけど)
今日は、仕方ない部分もある。

今日思ったことは、ちょっとづつだけど、
経験値がたまって来ており、
地蔵になりにくくなっているということだ。
実際、ナンパ中に女の子に舌打ちされたが、
今日は少し凹みつつも次の声掛けに踏み出すことができた。
3週間前は、これで心折れたもんなぁ。

あと、帰り道で、ナンパモードになっていないのに
めちゃくちゃかわいい女の子が前から歩いてきた。
その子の後ろを追いかけて、声掛けできたので
今日は満足だ。
大丈夫。少しずつ成長している。

次の目標は、ナンパ中の声掛け&会話記録を取りながら、
1時間で15人に声掛けする
にしよう。

そして、会話内容の改善のフェーズに以降していこう。
これができれば、ナンパ以外でも女の子を楽しませるので、
きっと役立つはずだ。
そう考えると、なんだか楽しくなってくる。

ちょうどObjective-C勉強してるし、ナンパのアプリ作りたいなぁ。

石がないのにつまずくことはできるのか。

今日はつまずくことについて考えてみたい。

私達の基本的な移動手段は徒歩である。

他にも沢山移動手段はある。

自転車、電車、バス、車、タクシーなどなど。

でも、最も人間が古くから使っている移動手段は徒歩であろう。

そもそも、道具を使わずにできるので最も身近であるとも言える。

 

普段道を歩いている時、私達はこけ方を意識することはあるだろうか。

多くの人は歩いている時、目的地を意識する。

何時までに、〇〇に行って買い物して、そこから☓☓に行ってご飯を食べて・・・

と言ったように、目的を考えながら進んでいく。

この時に、こけ方を考える人はいるのか?ということである。

今、私はそうとうおかしなことをゆっていると思う。

普段の生活で、

危ないと思ったら、頭をなるべく体の内側にしまって受身の態勢を取りつつ

つまずいたのと阪大の方の足でバランスを取りながら・・・。

と考えている人がいると、かなりびっくりしてしまう。

では、なぜそれを考えていないのか。

答えは3つ考えられる。

 ①歩くことに慣れているので、そもそもこける確率が非常に低い。

 ②小さい頃に沢山コケたため、考えなくても体が覚えている。

 ③そもそも考えるのがめんどくさい。

 

では、これが雪道で、下が凍っていたらどうだろう。

歩くだけでつるつる滑る。少し気を抜くと、足を取られてこけそうになる。

そんな状態であれば、こけ方を考えるのではないだろうか。

こけ方を考えられない人は、不安で不安で、先に進めなくなるかもしれない。

こんな状態でもこけ方を考えない人は、おそらく②の人であろう。

こけ方を知り尽くしている人は、おそらくこけることを厭わず、どんどん進んでいくだろう。

 

これは、人生も同じだと思う。

こけ方、失敗の仕方を知っている人は、ガンガンリスクを取りに行ける。

なぜなら、失敗した時のことをイメージできるから。

人間が最も不安を抱くのは、やり方がわからない時や、結果がわからない時である。

どんなに悪い結果でも、それを突きつけられると時間とともに受け入れられるようにできている。

これが、覚悟を決めるという状態である。

失敗した時のことをシュミレーションし、失敗する前にそれを受け入れるのだ。

これが出来てしまうと、後は強い。

成功を目指してどんどん進んでいくだけだからだ。

上記でいうところの②の人になれるのである。

 

だから、失敗を沢山経験し、その都度反省してきた人はどんどん成功体質に近づいていく。

失敗の恐怖が消え、挑戦できることが多くなり、挑戦している間も、成功することに意識を集中することができる。

だから普段から、石がなくったって転ぶ練習をしておくべきなのだ。

沢山失敗した人が最後には必ず笑うようにできている。

私はそう信じ、何もない道で、通行人に怪しまれながら、今日もこける練習をする。

責任を取る

今日は責任を取ることについて考えよう。

僕は最近、責任を取ることについてよく考えている。

そして今日、1つの結論を得た。

責任を取るとは、

「自分の力を出し切って、物事を最善の状態に収束させようと努力いつづけること」

なんだと思う。

 

会社で、前自分がいた部署が潰れそうになっている。

会社が独立採算制をとっており、採算が合わず赤字状態だからだ。

そこで、今の部署にいる人達を、他の部署に移さなければならない。

その作業を一人で進めている人がいる。Yさんである。

いろんな部署の人にコンタクトを取り、今の部署の人達を引き取ってもらえるように

お願いに行く。

なかなか大変な作業である。そんなに面白い仕事でもないだろう。

では、なぜそんなことをするのだろうか。

Yさんは、次のように語っていた。

「今の部署では、この仕事をできるやつはオレしかおらん。

これは、オレが一番力を発揮できる仕事なんや。

オレは、戦略的にモノを考えたり出来ないから、上に立つことはできないし、

立ってはいけないと思ってる。

でも、この仕事は、オレが(この部署では)一番うまくやれる。だから、一生懸命やるんや」

 

責任を取るとは、こういうことなんじゃないかな。

自分ができることを、一生懸命やり、その自体を最善の方向に収束させる。

だから、何か大きな仕事をした時に

「お前に責任が取れるのか?」

という問いかけがなされるのだと思う。

お前には、何か誇れる技術や能力があるのか?

そして、失敗した時には、その能力を十分に発揮し、自体を最善の結果で収束させられるのか?

と、問われているのだろう。

 

自分の得意分野、それを見つけていくのがこれからの課題だろうなぁ。