教えるってなんなのか誰か教えて欲しい

4月になったので、新入生が入ってくる時期だ。

今日、道で新入生が並んで歩いている時にすれ違ったが、

皆真っ直ぐな目で挨拶をしてくる。

なんて言えばいいんだろう。顔に期待感があるんだ。

自分の方に引き込む、そんな輝きみたいなものを持っている。

新入社員以外に、あんな顔をする人を自分の社内で見たことがない。

あと、数ヶ月もすると、死んだ魚の目になってしまうのだろうか。。。

 

そうはさせたくない。

ずっと、その真っ直ぐな目のままで、未来を、道を切り開いて欲しい。

だから、僕は一生懸命新入社員を教えたい。

 

僕は、「メンター」と言われるものに選ばれた。

新入社員を先輩として、あくまで上司ではなく先輩として、

面倒を見る係の人だ。

なので、色々考えた。

どうすれば、良い教育ができるのだろうか。

価値観を押し付けるのは、教育ではない。洗脳だ。

相手の中から引き出す教育をしないといけない。

では、引き出す教育って、なに?

 

今日、行き着いたのは、相手に「気づかせる」ことなんだなぁということ。

一生懸命話す人、やってみせる人はただの3流だ。

ほんとの一流は、相手に気づかせるはずだ。

気づかせた場合、価値観の押し付けにならないし、相手の価値観の中で

様々な成長をさせることができるはずだ。

では、気づかせるためには、何が必要なのか。

それは、観察だと思う。

観察して、一生懸命想像するのだ。

相手が、何に興味を持っていて、注意がどこに向かっているのか。

その結果、何を考え、どうすることが必要なのか。

それを理解した上で、足りないものに気づかせる質問をしたり、

言葉をゆったりするべきだ。

そして、きちんと改善された時も、観察力で見抜いて、

ポジティブシートバックを行うべきだ。

 

このサイクルだ。

このサイクルで、きっと誰かを育てることができるんだ。

新しい子が入ってきたら、こんな感じで育てて行きたいなぁ。

存在なんてそもそも存在しないんじゃないか。

僕は基本的に小心者なので、

常に何かに怯えている。

基本的に、自分は否定されると思っているし、

他の人を不快にさせる可能性が常にあると思っている。

そうすると、怖い。不安だ。

 

この前、「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」

よんだ。

↓の本だ。

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

 

今、この本の要約を作っているので、

そのうち公開しようと思っているが、 

この本の中に、とっても印象深い一節が出てくる。

 

ここから引用−−−−−−−

答えてくれなくてあたりまえ、

話しかけてくれなくてあたりまえ、

人から興味を持たれなくてあたりまえ

−−−−−−−引用ここまで

 

人は、基本的には他の人になんて興味が無い。

だから、本来話しかけたり、答えたり、興味を持ってもらえないので

当たり前なんだと、作者の吉田尚記さんは説く。

 

これ、ほんとにそのとおりなんだと思う。

コミュニケーションなんて、失敗して当たり前なんだ。

話が噛み合わず、言いたいことも伝わらず、距離も縮まらない。

それが、普通のコミュニケーションなんだ。

 

こうならないとしたら、それはお互いの努力の上に成り立つ

輝かしい結果なんだ。

 

もう、上手く行かなくったってへこまない。

それが普通なんだから。

でも、僕はもっと高みを目指したい。

だから、努力をする。

もっともっと、距離を縮められるように努力をする。

そんなスタンスで、常に有りたい。

心と体

良く言われる話に、体と心の関係の話がある。

体と心はつながっていて、態度が心に、

心理状態が態度に影響を与えるという話だ。

楽しいから笑うんじゃない。

笑うから楽しくなるんだ。

というやつだ。

これに関して、今、僕は分からなくなっている。

態度から改善するか、心理状態から改善するか、

どっちが正しい?

 

ナンパをする時、今はセリフをほとんど固定している。

態度の改善を目指しているので、極力言い訳を無くすためだ。

今のはオープナーが悪かった。

今のは会話内容が悪かった。

こうなってしまうと、態度の方に気が回らなくなる。

だから、なるべくセリフを固定し、しかも絶対断られるような

セリフを選ぶのがいいと考えていた。

なぜなら、なるべくネガティブ側に落ちるようにしておいたほうが、

改善された時に効果がわかりやすいからだ。

セリフを固定し、態度を意識して改善する。

これを繰り返して、もしポジティブな反応が得られたなら、

それは、態度が今までよりも良くなっていることを意味する。

とてもわかり易い指標になる。

だから、断られるようなセリフを固定してい使っていた。

 

だけど、結果から自身がつき、心理状態が改善されて態度が変わる

ルートもある。

イージー ウイン ファースト というやつだ。

簡単に勝てるところでさっさと勝ってしまう = 経験を増やす

ということである。

 

この戦略のほうが良いのか?

といっても、そんなに簡単に勝てるわけもない。

一生懸命がんがって進んでいくしかないんだ。結局。

だけど、思いつきでやることだけは、絶対やめよう。

経験が積み上がらない。

きちんと考えて、自分なりに進もう。

 

まずは、態度を改善度する努力をしてみるのがいいだろう。

自分の努力で何とか出来るのだから。

間違えた人

ナンパをすると、色んな経験に遭遇する。

声をかけた時に、ゴミを見るような嫌悪の目を向けられたり、

自分がそこに存在しないかのように振る舞われたりする。

そんな反応に、少なからずショックを受ける。

自尊心を傷つけられる。

でも、この構図の中で、誰一人として間違っている人はいない。

皆それぞれ、正しいと思う価値観を身につけて生きている。

その価値観を重ねた時に不協和音が生じた出来事に対して

人間は拒否反応を示す。

その不協和音のズレ具合が大きければ大きいほど、

負の反応が強く出る。

どんな価値観でも、ある意味では正しいし、

ある意味では間違っている。

唯一正しい価値観なんて、存在するはずはない。

 

問題なのは、その価値観に対して、どれだけきちんと考え、

責任をもっているのか。

その側面だけが重要なのだ。

もし、誰かの価値観を聞いて、納得できれば、

賛成はできなくても、受け入れることはできる。

そうした時、きちんと謝ることができる。

 

こう考えると、器の大きさというのは、どれだけ多くの

価値観を受け入れることができるのか?ということだ。

器の大きな男とは、普通の人じゃ考えられないくらいの価値観を

受け入れられる人なのだ。

そのためには、不協和音がなるたびに、その理由を自分なりに

考えて新しい価値観を受け入れなければいけない。

そんな人に、僕はなりたい。

だから、歩みは絶対止めない。

これも、グローバルリーダへの必要不可欠なステップだ。

絶対、大きな器を持った男になってやる。

静かに、静かに、心に誓った。

無価値の再認識

2日前、女の子を食事をした。

そのこと食事をするのは、これで3回目だ。

いつもどおり、仕事の話をし、

この前行くとゆっていた、ディズニーランドの

感想を聞いたり、友だちの話を聞いたりした。

そして、2時間を過ごしたイタリアンレストランを

後にし、さくらを見ながら散歩をした。

あくまで、駅まで送っていくという呈で。

「桜が綺麗だね。」なんて言いながら、頭のなかでは

どうやって次のステージに駒を進めればいいのか

必死で考えていた。

駅がもう見えている。時間がない。

最後の桜の前に立った時、きれいだと何度も言って

桜の木の前で立ち止まった。

女の子が隣に来る。

そっと髪を後ろからなでてみる。

少し驚きながら後ろを見たけど、ノーグダ。

ここで、次の一言を彼女に向かって投げかける。

「〇〇ちゃん、ちょっとこっち向いて」

「えっ?」

とこっちを向いた瞬間、彼女の唇に自分の唇を近づけた。

戸惑いながら、少し下を向く彼女にお構いなく、

自分の唇を重ねた。

特に抵抗はない。

下を入れてみる。

相手もそれに応じてくる。

期は熟した。

アイスを買って、ホテルに行こうとした。

アイスを買った後、お金がないことに気がついた。

僕は、そのまま彼女を放流し、駅まで送っていった。

男として、クズである。

お金は下ろせばよかった。今考えれば。

そのときは、雰囲気が壊れるのが怖くて、

思いっきりひよった。

帰りの電車で、死にたくなるほど自己嫌悪に陥り、

自分の価値のなさを通関した。

 

昨日。

ストナンをしに、コージさんといつもの繁華街へ行った。

なぜだか、いつもより地蔵が強く出ていた。

コージさんに指名してもらったのに、何人かを見送ってしまった。

見かねたコージさんは、指名するのをやめ、

自分で声掛けに行ってしまった。

一発でオープン。

楽しそうに話しながら、駅の方へ消えていってしまった。

これを見た僕は、かなり焦った。

でも、相変わらず地蔵が抜けない。

こんなんじゃダメだと、なんとか声掛けを続け、

女子大生と24歳のアパレル店員それぞれと会話がオープンした。

女子大生とは、大学の話をしたが、もう帰ると言われ、番ゲできず。

24歳のアパレル店員は、スタバで飲み物を買って歩きながら飲んだ。

職場の人間関係のはなし、3回仕事を変わっているらしく、

初めての職場の人間関係の話を聞きながら、改札まで歩いた。

直前、番号を聞くと断られ、番ゲできず。

こういうこともあるんだなぁと勉強になった。

 

今日

昨日までの2日間を振り返り、自分の価値のなさに絶望した。

考えると、胸が苦しくなり、居ても立ってもいられない。

外は雨が降っている。躊躇しながらも、僕はバスに乗り込んだ。

バスがいつもの道を駅へ向かって走って行く。

何故か、絶望に繋がる真っ黒な道を、ゆっくりゆっくり進んでいる

そんな感覚がした。

駅について見ると、雨にもかかわらず人で溢れかえっていた。

道にスペースがなく、むしろナンパがやりにくい。

そんな気持ちもあってか、昨日よりも更に強い地蔵感覚が

体中に広がる。

怖い。心が重い。もう、帰りたい。何事も起こさず、

いつもの日常へそのまま帰れたらどんなに楽だろうか。

でも、僕は知っていた。

その感覚に従うと、また自分の無価値を認識し、

自己嫌悪に陥ることを。

なんとか気力を振り絞って声掛けするが、ガンシカが続く。

3人目の子には、気持ち悪いものを見るような目でじっと見られ

ガンシカされる。

わかってる。悪いのは、全部自分だ。

自分が勝手に声をかけ、相手の時間を奪っている。

相手の感情、意識の中に、自分という存在をねじ込んでいる。

僕がすべての責任を負わなければいけない。

でも、ひよっこの豆腐メンタルの自分には、その目線の切れ味は

尖すぎた。

心が折れる

少し歩きながら、心を落ち着かせる。

よし、回復してきたと思って声をかけようとするが、声が出ない。

完全に、メンタルがビビってしまっている。

こんなんじゃダメだ。

何度も自分に言い聞かせながら、地蔵になって時間を無駄にしながら

12声掛けをした。

あと、2回声掛けして帰ろう。

そう思って、自分の好みの優しくて丸顔で、ふわっとした雰囲気の

女の子に声掛け。

21歳の専門学生。

会話がオープンするも、連れ出しグダ。

10分だけスタバでお茶しましょうと押し切る形でスタバへ移動した。

ほんとは、こんな無理矢理連れだすのは、僕の理想ではない。

でも、今の自分では仕方ない。

連れ出中、学校の話を中心に聞いた。学校が楽しいらしく、よく喋る。

ただ、恋愛の話になった途端、あんまり覚えてないとか行ってごまかす。

2人の心理的距離がほとんど縮まっていない証拠だ。

学校の話に戻し、もう少し話をしてもらう。

話が途切れたところで、帰ることにする。

帰りに、LINEを交換したが、おそらく返事が来ることはないだろう。

心の距離が、縮まらなかった。縮めることができなかった。

またここでも、自分の価値のなさを通関してしまった。

 

 

僕は、本当に、何をしているんだ。

どうしてこんなに無価値なんだ。

一流のナンパ師は、女の子との心理距離をサクッと短時間で

縮めてしまう。

それが、僕にはどうしてもできない。

どうすればいいんだ。なんで、連れ出しできたのに、

こんなに達成感がないんだろう。

それはきっと、自分の力で何とかできたことがあまりにも

少ないからだろう。

相手の心の距離を縮める。

これを上達させなければ、僕は自分を認められないだろう。

今後はここに焦点を当てて、なんとか成長していきたい。

男として価値のある自分になりたい。

 

強く、強くそう思い、さらなる努力をここに誓う。

空気の存在

今日は久しぶりに、大学の友達と集まり、皆でご飯を食べながら

お酒を飲み、お花見をした。

大学時代、学生委員をやっていた仲間たちだ。

今では、ほとんどの人が結婚し、子供がいる。

結婚していないのは、11人中自分を含めて2人だけだ。

そして、みんなでご飯を食べている時、忘れていた、

遠い昔の感情が蘇ってきた。

自分の無力感と、とてつもない孤独感。

もうしてたと思っていたその感情が、強く、鮮明に、

自分の中に蘇り、そして自分の体の端から端までを

その感情が満たした。

 

別に、無視されるとか、いじわるされるとか、

そんなことは一切ない。

みんな優しく、自分にも話を振ってくれる。

ただ、自分がそのグループの人達に与えられるものが

なにもないのだ。

僕は、今まで、誰とも付き合わず、エッチをすることもなく

ここまでやってきた。

皆が当たり前に経験することが、僕の中からすっぽり

抜け落ちている。

他の人と、同じ土壌を踏めていない。

おそらくそれが原因で、僕は学生の頃から

このグループ内で大きな無力感と劣等感を感じていた。

これは、完全に自分で作り出し、自分で苦しんでいるのだが、

頭ではしっかり分かっているのだが、自分ではどうしようもない。

やはり、もうあのグループの中に、僕の居場所は存在しない。

 

過去は変えることができない。

ただ、未来は変えることが出来る。

これはよく言われる、使い古された言葉だ。

この言葉に僕の考えを付け足すと、

過去は変えることはできない。

ただ、解釈を変えることができ、捨てることができる。

 

もう、あの過去は捨てよう。

未来を見つめて生きていこう。

今の努力の先に、必ず僕の求めた未来があると、強く、強く

信じている。信じざるをえない。

それを掴み取ることだけを考えて、一日一日を紡いでいこう。

お花見

昨日は、ほんとに良いことがなかった。

会社でもプライベートでも、自信を失うような出来事ばかり

起きた。

なので、少し自分に自信をつけようと思い、

ナンパに行くことにした。

夜の街に到着したのが、夜の9時前。

いつもの場所に移動してみたけど、人がほとんどいない。

そりゃそうか。平日の夜だもの。

そこで、ナンパは諦めて、近くの公園で花見をすることにした。

公園に着いてみると、驚くほどの人であふれている。

「みんな、ここに集まってるのかぁ」

と思いつつ、ナンパできないかなぁと思って歩いてみたが、

一人の女の子なんて全くいない。

そりゃそうだ。花見なんだもの。

そこで、ぼーっと一人で花見をしていると、

「すいません、写真とってもらえますか?」

横を見ると、3人組の男女がこっちを見ている。

「いいですよ」

スマホを預かり、写真をとってあげる。

「ありがとうございます」

このやりとりだけで、少し自分が前向きになる。

 

そこで、ど僕は、他の人の写真を撮って回ることにした。

「良かったら、写真撮りましょうか」

こうこえかけた時の反応が皆違って面白い。

「えっ、いいんですか!?めっちゃいいひと(^^)」

「あー、じゃあ、せっかくなんでお願いしちゃおうかな」

「そう言ってくれるの、待ってましたよ(^^)」

「あっ、大丈夫です(^^) ありがとうございます」

簡単なヒトコトなのに、みんな、違う反応。

去り際に、もう一度お礼を言って去っていく人もいる。

 

やっぱり、人って面白い。

ありがとうをいっぱい貰って、少し元気と自信を取り戻し、

また少し、人への興味が強くなった一日だった。