人と向き合う

僕は今まで、人が怖いと思っていた。

もちろん、今も怖いと思っている。

そして、人は自分の鏡だとよく言われる。

人を見ると、自分のことがわかるのだと。

ということは、自分の気持ちや考えていることが、

相手の人に影響を与えて、同調してくるのだ。

 

ということは、人の心を動かすためには、

まず、自分の心が動かなければいけないのだろう。

これが、よく言われる情熱というやつだと思う。

情熱があるとは、自分の心を自分で動かしている状態だ。

もちろん、外的要因はあるのかもしれない。

でも、外的要因だけでは情熱にはならない。

情熱とは、人の内側から沸き上がってくる強い感情だからだ。

長期的な、信念とも言える最終目標にコミットする強い意志と、

最終目標にきっちり噛み合っているプロセスを踏むとき、

強い強い情熱が生まれるんだと思う。

 

ということは、情熱がないということは、目標を失っているか、

その目標へのコミットが足りないのか、

今やっている行為が、その目標と上手く噛み合っていないのか。

この内のどれかなのだろう。

 

人と向き合うことは、自分と向き合うこと。

自分ときちんと向き合って、情熱を持てている人は、

周りの人の気持ちも動かし、沢山の人をどんどん巻き込んで

幸せにしていく。

 

情熱を持ちましょう。

これが、きっと最も多くの人を幸せにできる事なんだと思う。

 

インスピレーション

なんか物を見た時、頭のなかに何かが思い浮かぶことがある。
例えば、美術館に行って絵画を見た時。
自分がいいなぁと思えるデザインの商品を見たとき。
何か言葉に出来ないものが、頭や心のなかに浮かぶ。

また、知らない人と出会った時。
なんとなく、その人の内面や普段の生活が思い浮かぶことがある。
そして、話をしてみると、ピッタリ合っていることもあれば、
以外なほど外れていることもある。

ここで面白いのは、ぱっと頭に思い浮かぶ事もあれば、
悩みに悩んでも、何も思い浮かばないこともあるということだ。
ここで瞬時に反応するものは、自分の生活の中に
深く入り込んでいる可能性が高い。
人と会い、話す前に何かが思い浮かぶ場合、
おんなじようなタイプの人と過去に交流を持っていたのだろう。
人と会い、何も思い浮かばないなら、そのタイプの人とは
今まで交流したことがないのだろう。

ということは、なるべく何も思い浮かばない人と交流するほうが、
自分の幅が広がっていいんじゃないのかなという話。

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

ただ、上記の本を参考にすると、人とコミュニケーションを
取るとき、誤解ウエルカムでどんどん自分の思い込みを相手
にぶつけていきましょうと書かれている。
つまり、相手を見た時、何かを想像し、その人のキャラクターを
自分なりに設定しないといけないのだ。
これが、僕にとってはめちゃくちゃ難しい。
何も思い浮かばないんだから、どうしようもない。
もう、練習するしか無い。

この技術は、コミュニケーションをするときに
とても大切になる気がしている。
コミュ症気味の自分にとって、これが出来るようになれば、
次のステージへの扉が開く気がする。
だから、練習しよう。
何か、人を見て想像し、キャラクターを設定しよう。
そして、その答え合わせをしよう。

まぁ、それを知らない女の子にするということが、
ナンパをするということなのだが。
これをする前に、僕がやらないといけないのは、見た目の改善と
態度の改善だ。
これをきちんとこなした後、この練習をする必要があると思う。

喜ぶことも立派な能力の1つじゃないのか。

最近、なにか嬉しかったことがあったか?と聞かれると、
答えに詰まってしまう。
確かに、楽しかったこともいっぱいあったし、
良かったこともいっぱいあった。
はずだ。
僕は、素直に喜ぶことが苦手だ。
喜んでしまうと、そこが終着点のような気がしてしまう。
電車でいうところの、終点になってしまう気がするのだ。
僕は今、特別チケットを買って特急電車に乗っている。
行き先が書かれた切符をしっかり握りしめて、
僕は最終目的地について思いを馳せる。
・・・あぁ、なんて素晴らしく胸に響く景色なんだ。
空気が美味しい。今まで見たことがない景色だ。
高い切符だったけど、本当にここまで来てよかった。
こんなことを空想しながら、ニヤニヤして、
電車の座席に腰を落ち着けている。

ひと通り空想が終わった後、ふと電車の窓から外を眺めてみる。
いつの間にか知っている景色とは変わっていて、
見たことのない景色になっている。
あれ?あれはなんだろう。すごく綺麗だな。
おや?あそこに行くと、なんだかすごく気分が良さそうな場所だな。
そう思い、次の停車駅で少し電車を降りてみる。
幸いなことに、電車の発車時刻までには、時間がある。

降りた駅を散策してみる。
今までに経験したことがない気持ちが自分の中にどんどん沸き起こる。
うわぁ!すごいな。こんなの初めてだ!!

ここだ。
この時点だ。
ここで喜んでしまうと、この景色、体験に陶酔してしまう。
そうすると、電車の発車時刻に気づかず、気付いた頃には
電車がいなくなっているのではないか。
それではいけない。
僕には最終目的地があるんだ。
切符には、その名前が力強く記してあるんだ。
だから、こんなところで喜んでいる場合じゃない。
陶酔している場合じゃないんだ。
だから、僕は自分にこう言い聞かせる。
「こんなのたいしたこと無いね。最終目的地に比べたら」

僕の人生は、こんな感じだった。
だけど、気付いた。
これは、間違いなんだと。
そうじゃないんだ。
途中の景色を楽しむんだ。一つ一つを受け入れるんだ。
そうしないと、結果にコミットするということがどんどんできなくなる。
喜びがないと、やっぱり続かない。
楽しいこともないのに、長い間電車に乗り続けるのは不可能だ。
変わりゆく景色に気付いているのに、窓にカーテンを閉めて
喜ばないようにするのは間違ってる。
むしろしっかり喜ぶんだ。自分は、電車に乗って走っていることを楽しむんだ。
そうすることで、次の駅の手前の駅で思わず電車が急停車したって喜べるんだ。
そして、次はもっと先の駅まで行けるように自分の中でしっかり決めればいい。
喜ぶんだ。
素直になるんだ。
自分の気持をしっかり自分で感じ取るんだ。
その練習をしなくちゃいけない。
もっともっと、結果にコミットしていくために。

エッセンシャル思考とはいえ、捨てればいいってもんじゃない

最近読んでいる本で、「エッセンシャル思考」という本がある。
以下の本だ。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

まだ途中までしか読んでないが、非常にためになる本である。
書かれていることは、そんなに斬新なことではない。
前々から、なんとなく、どこかで聞いたことがある話だ。
仕事を効率的にしなさい。時間は有限なんだから。
夜はちゃんと寝なさい。昼間の時間が無駄になるから。
こんなことが書かれている。
そして、この本の中心に流れているのが引き算思考だと思う。

不要なものは捨てなさい。さもなければ、全て中途半端になる。
この本は、一貫してこの考え方を主張している。

少し話が変わるが、今日、NewsPicksでシャープとソニーの分析記事を読んだ。toyokeizai.net
分析を要約すると、以下のようになる。
ここから要約−−−−−−−
 シャープは液晶に集中してリソースを投入しすぎ、
 後戻りできなくなった。
 一方、ソニーは液晶の製造を手放すことで、
 リスクを回避した。
 さらに、金融や損保を長い年月をかけて育ててきており、
 それが結果的にリスク分散につながった。
 今のソニーを支えているのは、金融やゲームといった
 本業以外の部分である。
−−−−−−−要約ここまで
つまりは、究極の引き算を行い、液晶一本に選択・集中を行ったシャープは破れ、
多くのことに手を出していたソニーは、危機を免れ復活の軌道に乗っている。
これは、エッセンシャル思考の考え方と、相反しないか?

ひき算思考のエッセンシャル思考を極めれば、何か一つだけ残すということになる。
ただ、これでは結局シャープの背中を追うことになってしまう。
ということは、エッセンシャル思考はほんとは間違った考え方なのか?

おそらく、そんなことは無い。
エッセンシャル思考で最も大切なことは、引き算しなさい。という教えではない。
「持ちすぎるということには、失うのと同じぐらいのリスクが有ることを認識しなさい」
ということなんだ。
この意識を持ち、しっかりとどうするべきかを考えなさい。一生懸命考えて生きなさい。
きっと、こう解釈することが正しいんだと思う。
多くの人は持ちすぎるリスクをしっかり認識できずにいるから、これを認識するだけでも、
意思決定に変化があるはずだ。それも、いい方向に。

しっかりリスクを認識した上で、リスクを受け入れて選択肢を決めていく。
その積み重ねで出来た人生こそ、最後に輝く、自分だけにしか歩めない人生に
なっているんだろう。
僕は今日、それを確信した。

自信がない状態は、失敗を受け入れられなくなっているということだ。

僕は昔から自分に自身がなく、今でも自分のことをあまり信じられない。

どうせ、やっても失敗するだろう。

なんだか、成功する気がしないな。

ほら、やっぱり失敗したよ。

 

これって、よく考えると、失敗することを受け入れないために、

自分のことを拒絶しているのだと気付いた。

自信を持つと、結果に対してコミットメントする必要が出てくる。

ただ、自信がなく、失敗するかもという雰囲気を出しておけば、

失敗したとしても、

やっぱりね。言ってたとおりでしょ?

と言い訳することができ、自分の自尊心を守ることができる。

 

でも、これって、とても効率の悪いことだ。

わざわざエネルギーを使って、失敗を受け入れないようにしているのだから。

こんなエネルギーを使わずに受け入れてしまえば、

自信がどんどんついていくはずだ。

 

じゃあ、どうすれば失敗を受け入れられるようになるんだろう。

その答えは、PDCAサイクルを回すことだと思う。

まず、仮説に基づいた行動を行う必要がある。

仮説に基づいた行動だと、結果に対して、必ずフィードバックが返ってくる。

そのフィードバックに基づいて次の仮設を立て行動すれば、

またフィードバックが返ってきて・・・

というように、どんどん次の行動を論理的に決定することができる。

これが大切なのだ。

人は、「分からない」とき、最も不安になるいきものだ。

どうすればよいか、分からない。

失敗すると、そんな状態に陥ることがよくある。

あー、失敗してしまった。なんでなんだろう。分かんないなぁ。

やっぱり、自分には才能がないのかなぁ。

となって、自尊心を傷つける。

だから、失敗を受け入れられないんだ。

 

論理的にすべてを決めていければ、自尊心を傷つけなくてすむ。

間違っていたのは、仮説だと考えられるからだ。

しかも、どんどん自分の中にフィードバックが溜まっていく。

そうなれば、確実に自信がついてくるだろうし、

失敗を受け入れられるようになっていくはずだ。

 

PDCAサイクルを回す。

それに集中すると、きっと自信がついていくんだと思う。

積み重ねが世界を作り上げていることは間違いない。そこにベクトルを与えるのは意志だ。

この世の中は全て積み重ねで出来上がっている。

今の世の中は、過去の人が残した出来事の上に成り立っているし、

個人を取り上げてみても、過去の行動、出来事の上に

今の自分が成り立っている。

また、すべての物体は分子、原子からできていて、

それを分解すると電子、果ては素粒子まで分解できる。

これらが集まることで、何かを形成し、作り出している。

だから、積み重ねが全てを構成しているのは間違いない。

では、これに方向性をもたせるのはなんだろうか。

その答えは、意志なんだと思う。

 

誰かが、意志を持って行動を起こす。

そうすると、その影響によって必ず何かが起こる。

本来、そうしなければ起こりえなかった出来事が発生する。

それは、現実をほんの少し、ごくごくわずかながら変化をさせる。

この変化がどんどん溜まっていった結果、何かの現実ができあがる。

こう考えた時、この系の中でベクトルを持ったものは意志しか存在しない。

ということは、この変化がもたらす方向に相互作用できるのは、意志だけだ。

結局は、どんなけ意志が強くて、その意志によってどれだけの変化を与えたか

それが大切なんだ。

 

だから、ナンパにおいて、人の目を気にしているなんてナンセンスだ。

だって、沢山の人に見られている方が、変化の総数が増えるのだから。

その変化は、その系の中で最も強い意志の方向へと積み上がっていく。

その中で最も意思が強いのは、行動を起こし、働きかけをした人に決まっている。

だから、しっかりした意志を持っていれば、沢山の人に見られたほうが

どんどん現実が動いていくんだ。

自分の意志の力をしっかり持つんだ。

それが、未来を方向付け、変化させていくんだ。

 

それを心に刻みこんで、しっかりとした意志で働きかけをやめてはいけない。

 

笑わせることと笑われることは枝豆と大豆ぐらい違う。

笑わせることと笑われること。

この2つは全く違うもので、相容れないものである。

笑わせるということは、主導権を握るということだ。

笑われるということは、主導権を握られるということだ。

全くちがう。幸せになれるか、幸せになれないか。

それが完全に決まってしまう。

 

人類の歴史を紐解くと、常に「自由」を求める活動で

埋められていることがわかる。

私達の歴史は、自由を求めた結果、積み上げられてきたものだと言える。

選挙権なんて最もわかり易い例だし、

あらゆる戦争も自分たちの欲求や不安感を拭い去り、

恐怖さコンプレックスから自由になるための活動であったといえる。

人間は、はるか昔から自由を求めて生き続けてきたのだ。

 

ここで、最初の話に戻ろう。

笑うと笑われる。主導権の在処が違うという話だ。

主導権を握っている方が、自由を手にしている。

その人は、必ず幸せになれる。

人にリードされたい、主導権を握られたいという人もいる。

そういう人を世間ではM体質と呼ぶ。

こういう人達も、たしかに幸せになれる。

だけれども、僕は主導権を握れる人のほうが幸せになると思う。

逆説的だが、幸せになれない確率がとても低いからだ。

自分でコントロールできるということは、

結果に対しても満足感を得ることができる。

良い結果であれ、悪い結果であれ。

だから、主導権を握ったほうが絶対にいいのだ。

リーダーになった方がいいし、率先してなんでも体験した方がいい。

リーダーになって、上を目指していこう。